個人史からの「社民党解党への讒言」



 僕は直球しか投げられないバカなので、本音をぶちまけます。

 僕の実家は北海道で、中学生の頃亡くなった父は北教組の組合員でした。
 父方の親族は戦時中、福井県から北朝鮮の咸境北道《今、話題になっているロシア国境近くのもっとも貧しいとされる地域です》に「開拓団」として入植し、そこで敗戦を迎えました。有り体に言えば「侵略戦争の片棒を担いだ日本人の典型」かもしれません。戦後、正規の引き揚げ船は北朝鮮地域からは出航せず、家族は敗戦一週間前に徴兵された祖父を残してヤミ船で帰還しました。
 
船が着いたのは福井ではなく北海道。没落して故郷を離れた家族に戻る家は残されていなかった。北海道には、そうした引き揚げ者が多数流れていました。生還した祖父は美唄の炭坑で働き、家族は生き延びるために働きました。敗戦の日、少六だった父も中学には進めず、木工所で大工の修行をしながらラジオの通信教育で学び、定時制高校を経て、他人より六年遅れて教師になりました。
 祖父は炭労で故・横路節雄代議士を支援し、父も息子の横路孝弘後援会をやっていました。そのくせ、父は酔っぱらうとソ連の悪口を言いました。目の前で国民学校の校長が蜂の巣にされる様、略奪にやってきたソ連兵に曾祖父がタコ殴りに遭うのを、屋根裏から震えてみていた様を涙ながらに語り、幼かった僕もなぜか泣いていました。
 
 僕の少年時代は決して裕福ではありませんでした。父は組合の「主任制反対闘争」に反旗を翻しました。「俺には養わなければならない家族がいる。微々たる主任手当でも、他人よりよけいに働いて金をもらって何が悪い。」といって総すかんを食らいました。そんな父の後ろ姿を見ながら、僕自身、「反権力」という考えが根底に染みついていきました。

一方で、僕自身が「いい子」でいなければならないというプレッシャーと戦っていました。「教師の子ども」は、悪いことができないのです。同時に、厳格なカトリックの家庭でもありました。父が高校入試の翌日にくも膜下出血で倒れ、入学式の一週間前に亡くなって、無意識に解放されている自分がいました。
「誉めてくれる人がいないなら、いい子を続ける必要もない。」

 僕は高校の新聞局に入部し、当時の「全共闘回顧ブーム」にハマりました。横路孝弘の「勝手連」で未成年のくせに選挙運動をし、そこで知り合った活動家にオルグされて「MPD」という「市民運動」の高校生キャップまでやりました。
 ちなみにこの「MPD」というのは、現在「市民の党」と名乗っている人々ですが、実態は「親中国派」の新左翼党派で、当時「ポル・ポトの虐殺はでっち上げだ。すべてソ連の傀儡であるベトナム軍がやった行為」と教えていました。僕はそれをすっかり信じ込んでいましたが、他の市民運動で知り合った某新左翼シンパの学生にこんこんと説得され、間違いに気づくことができました。ちなみにこの学生は、新たに僕をオルグするようなことはしませんでした。

 その後、高校新聞で「反・管理教育」の記事を書いて「発禁処分」をくらい、そうした活動の中で当時、「青生舎」というグループで「がっこうかいほうしんぶん」を発行していた保坂展人や、愛知県で反・管理教育運動を展開していた藤井誠二と知り合うことになります。
 保坂が「土井たか子都知事候補に!」とぶち上げた活動にも参加していました。《彼が社民党の代議士になったことについても、こうしたつきあいの中で生まれた信頼関係や仁義に筋を通したのだと思っています。》

 北海道の泊原発阻止闘争で逮捕され、天皇代替わりのころに「秋の嵐」という反天皇制パフォーマンスグループで逮捕・起訴され、10代から20代の青春期を棒に振り、最後に残った砦が「マンガ」だったのです。
 
 10年ほど前、「有害コミック規制騒動」というのがありました。その矢面に立たされた漫画家の中に、僕が東京拘置所で涙ながらに読んだ「BLUE」というマンガを描いた山本直樹という名がありました。「BLUE」の単行本は発禁、回収され、裁断機にかけられました。
 僕はたまらず、都庁に抗議に向かった山本直樹氏をつかまえて「雇ってください」と懇願しました。氏は、「経歴が面白いから使ってやる」と言ってくれました。

 僕にとっての「エロマンガ」は、差別の象徴ではなく、人間の解放の象徴でした。その思いで、もう10年も、この世界にしがみついています。


 ひとりの「エロマンガ家」の半生の中で、「日本社会党」「社会民主党」は、愛憎入り交じった存在でした。北海道に生きた無名の家族にとっては、貧困を打破し、権力を厳しくいさめる代表でした。生活者として生きた一介の教師の目には、硬直した組織であったり、それでも支持すべきと言うアンビバレントな存在でした。稚拙なサヨクごっこに耽溺していた青年にとっては、「家庭内暴力の矛先としてのダメ父」でした。戦後民主主義の哀しむべき点は、持たざる者の希望を、こんなみっともない、不誠実な政党に託すしかなかったということです。
 断言しますが、独裁制度を維持し、独善的な日本共産党は人民の党では決してない。新左翼諸党派、公明党は論外。いまの民主党は、個々人を信頼できても、大勢としての党派性は持たざる者の利益とはほど遠い。

 「拉致問題への不誠実な対応」は、決して些細なことではありません。辻元さんは大好きだけれど、「秘書給与流用」という行為は、社民党が議会政治の腐敗に易々とはまっていったという「裏切り」の顕著です。辻元を貶めたのは、紛れもなく社民党の責任であり、拉致問題への不誠実な対応は、社民党が関係する団体とのなれ合いや癒着の中で、決定的に弱い立場の人々を「裏切った」という事実です。

 「自民党の方がもっとひどいことをやっている」という言い訳は、もはや通用しません。社民党が持たざる者の希望を託されているという責任を痛感していたら、このような不誠実な態度は決して許されないと、考えなくてもわかるはずです。

 親子三代にわたって支持してきた人間の言葉を受け止めるべきでしょう。

「速やかに解党せよ。全てを明らかにし、不誠実を謝罪し、しかるのち、ゼロから同志を募って徹底的に議論し、あるべき『持たざる者を代弁する党』を創設せよ。」

山本夜羽音


………恐ろしく屈折したラブレターだな。