ワナビー問題。

johanne2005-06-29

「何かになりたい人」をからかって「ワナビー」と呼ぶ…という話を聞いた。"I wanna be......"だから「ワナビー」。その願望が、何者でもない、何も持たない若者を突き動かす最大の動機なのは確かだ。しかしこの場合、「自称何某」であったり、途方もない夢物語を語ることだけで満足していたり、狭い業界の端っこにぶら下がっていることで何かになったかのように勘違いしているような困った人種を皮肉った命名なわけで。昔からこの類は腐るほどいたし、自分自身も振り返ってみれば典型的な「ワナビー」だった。中には間違って…というか幸運にも「アイ・アム」と名乗れるポジションにうだつを上げる人間もいるわけで、「ワナビー」だから困った人…とは一概に片づけられない。とはいえ、「ワナビー」が成り上がる確率は天文学的に低いわけで、それ故「ワナビー」が抱える諸問題は看過できないものがある。

僕は10代後半から20代半ばまで、おそらく出会った人が辟易するほどの「ワナビー」だった。大学を中退して市民運動や左翼運動に熱中し、同人誌で描いたマンガの大半はご大層なストーリーの前半部分で途切れていた。お祭り好きで、原宿ホコ天なんぞを舞台にイベント企画の旗振りを買って出たし、オリジナルデザインのバッヂやTシャツは面白いほど売れた。時はまさにバブル絶頂期で、フリーターでいた方が儲かるような時代。自分の未来には無限の可能性が開けていて、「何者かになる」ことなどいつでもできるとたかをくくっていた。「10代」あるいは「青年」が「大いなる夢に向かって何かを叫んでいる」こと自体が「朝日新聞」や「朝日ジャーナル」「週刊プレイボーイ」、TV報道の特集企画のネタになる。それこそ「ワナビー」自体が「商品」だったのが、'85〜'95年あたりの「時代の空気」だった。

僕にとって幸運だったのは、はしゃぎすぎたツケが回って拘置所の独房に押し込まれ、出てきたあとはカードローン地獄にはまるという形で現実に引き戻され、一方で「ワナビー」でしかなかったマンガ家になる夢が、アシスタント修行という形で可能性を繋ぎ止める機会を得たことだった。

今でも思い出す体験。仕事明けの飲み会でひとしきり某マンガ家批判をブチ上げた僕を、師匠はニコニコしながら「でもさ、短編マンガ一本仕上げてない、アシスタントの身分の山本くんより、連載こなして単行本出して稼業を続けているそのマンガ家さんの方が、はるかに格上なんだよ。」とたしなめた。それは本当に恥ずかしく、知ったかぶりで自尊心の塊だった僕の「ワナビー」を完膚無きまでに打ちのめした。そこから先、ただひたすら「何者かになる」為の努力を積み重ねてきた。

自分がそうであったから、どこぞの席で「ワナビー」と向き合うと、身悶えしそうになる。交換した名刺の肩書きが四つ以上あったらかなりヤバい。大概それは「多才」を意味せず、単に何事にも中途半端だという意味でしかない。「アノニマス」であることで「著名人」をこき下ろす芸風は痛快だが、「アノニマス」がなにがしか取り立ててもらって「その筋の有名人」になった途端、自己保身のつまらないコメント人になり果てる姿は、ネット社会ではごくありふれた光景だ*1。ある意味、クリエイティブな業界に戦略や展望がなくなっている状況が、「ワナビー」をある日突然スターダムに押し上げるような夢物語を再生産し続けているとも言える。現実には、辻仁成の小説には優秀な編集者の赤ペンが欠かせないし、モー娘。はアイドルであるポジションを守るためにとてつもない努力を重ねている。週刊少年ジャンプの10週打ち切り作家と何千万部コミックスを売りさばく人気作家に決定的な差は存在しない。多くの場合、「ワナビー」で止まるかフェイドアウトしてしまう人々は、「何者かである」人々が積み重ねる努力とか、勝者と敗者を分かつ要素の理不尽さといった「現実」を理解しない、しようともしない。努力はしたくないが転がっているラッキーは拾いたい…では当然何者かにはなれないのだが、「ワナビー」たる者はキレイゴトを吐き、通用しなければ「あの葡萄は酸っぱいんだ」とうそぶく。ちやほやされれば舞い上がり、業界人とのコネクションを増やしては半可通ぶる。百歩譲って、「若さゆえの勘違い」と笑って許したとしても、そーゆー手合いは三十路をすぎても若気を至らせまくるので、救いようがなくなっていく。往々にして、イタい経験を引きずった優しい大人は「ワナビー」を更生させようと手篤くケアするが、大概徒労に終わるか、後ろ足で砂かけられる思いをする。

結局「ワナビー」は自ら赤っ恥をかき、孤立し、己の未熟さに「気づく」経験をしなければ治らない。サイアクなのは、それでも自分の不明を恥じることなく、コミュニティーを転々と替えながら「世界で一番カワイイ自分」の心地よい環境に固執する人種。そういう度し難きクズの吹き溜まりというのも、世の中には都合良く用意されているのだから、別段憐れんであげる必要もないのだ。

*1:ちゆ12歳」やら「侍魂」の例を挙げるまでもなく。ブログの繁栄で「ワナビー」のイタい栄枯盛衰はこれからも僕らにしょっぱい想いを提供してくれるだろう。

ミュージカルバトン…?

id:tazanさんからご指名。これって、mixiとかはてなとかのコミュニティ限定なの?はてなではお友達が少ないのでどうしよう…五人も指名するの?…まぁ、面白い企画ではあるので。

  • Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)

「1.24GB。99.8%はアニソンと特撮ですが何か?」

  • Song playing right now (今聞いている曲)

「『神魂合体ゴーダンナー!』テーマソングをヘビーローテで。」

  • The last CD I bought (最後に買ったCD)

「『曲馬館劇中歌集』極左アングラテント演劇の源流となった劇団が制作した幻のレコードが復刻されていて、衝動買いしてしまいました。」

ゴーダンナーはハイテンションモードに入るときの必需品。ムーンライダースのこの曲は、史上最強の反日・反天皇ソング。あばよ東京は、今でも聴くと青臭い17歳の記憶がよみがえります。テーゼは知る人ぞ知る「秋の嵐」屈指のインディーズロッカー。拙著「マルクスガール」最終回にも引用。JAGATARAは、頭でっかちなロックの聴き方をしていた僕にリズムの快楽を教えてくれました。」

  • Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5名)

「豆鉄砲」のkaximaさん
三平太さん
ウチの妹
id:reds_akakiさん
id:artaneさん
にお願いしようかと。

奥崎死して、天皇はサイパンへ。

正直、ロフトプラスワン根本敬にいじられている奥崎謙三を見るのは辛かった。このじじいのキ○ガイ力を理解する者も、理解しようと勉める者もいなかった。奥崎が取り乱しながら訴え続けたのは、唯一、「あの戦争の責任を誰がとるのか?」という突きつけでしかなかった。その一点でのみ、奥崎は正気だった。その事実を、因果者の奇矯な老人を笑いの種にしようとした根本敬が引き受けていたとは思えない。多くの点で根本の仕事は評価するが、こと奥崎謙三に対してだけは、根本敬でさえ「世間並みに普通の人々」と同様の逃げを打っていたように思えるのだ。

僕が天皇制に反対する最大の理由は、「最終的に誰も責任をとらないシステム」だという点だ。今回のアキヒト夫妻によるサイパン慰霊訪問が「天皇の戦争責任」への彼らなりの回答かも知れないと感じるのはお人好しにすぎるかも知れない。しかし、浅薄で無能で頑迷な宰相がまき散らした「無責任」に比べて、かつての植民地に赴き、朝鮮人や沖縄の慰霊塔にまで拝礼したアキヒトさんとミチコさんの平和への決意は、天皇制というシステムの禁忌にまで踏み込もうとする冒険に思えた。ドイツのように、「全ての戦争犯罪ヒトラーナチスの責任」とする事を、なるほど日本人は潔しとしないのかも知れない。しかし、潔くあろうがなかろうが、敗戦を喫した国家が侵略した近隣諸国との関係を正常化するためには、明確な「責任所在の確認と責任者の処罰」が求められるのは当然のことだ。「天皇ヒロヒトの戦争責任」を回避した以上、「A級戦犯」が責任所在として永久に汚名を刻まれるのは、どうあってもやむを得ない結論だったのではないか。東条の遺族が東条英機を庇うことと、侵略戦争を「仕方なかった」としたり「いやむしろ、アジア植民地解放の契機になった」と言い訳するリビジョナリスト共の姑息な策動とを同列に扱うべきではない。

皮肉にも、「戦後民主主義の申し子」のごときアキヒト夫妻の誠実さが、天皇制の虚妄をあぶり出した。まず、ちゃんと謝るところから始めないか? でなきゃ、中共の屁理屈にすらちゃんと反論できないぜ。