ネタバレ。

johanne2007-04-10

mixiで某所にコメントつけちゃったんですが、陰口みたいに思われるのも嫌なので、吐き出します。

(*画像は「エロすぎて」没になった手描きポスター図案…当然ですな)


念のため先に言い訳しておきますが、これは一個人の末端運動員から見えた選挙運動に対する感想で、立場が違えば全く異なる意見や批判がある事、中枢に入っていた人間しか知り得ない真相とは別の見解に過ぎない手記であることをご理解下さい。従って、単純な事実誤認や独断、偏見が入っているかもしれません。明確な誤りがあった場合には訂正、謝罪は速やかに行います。


「浅野は民主党員なんだろう?」と、あちこちで揶揄されても、僕は断固として「浅野史郎民主党でも社民党でもない! むしろ正当な保守政治家だ!」と説明して来ました。民主党が擁立工作に動いていたのは事実ですが、正確には、最初に浅野の固辞を揺るがせ、必死に出馬を懇願し、擁立したのは、多種多様な無名の人々でした。

浅野がはじめから民主党公認候補で出ていたなら、おそらく僕は選挙運動には参加しなかったでしょう。



選挙終わっちゃったから、多少のネタバレはしちゃいます。もうそろそろいいでしょう? ここまで、悔しさをずっとかみ殺して来たんだから。





ぶちまけます。





市民による浅野擁立が動き始めても、都議会民主党はこそこそ海江田なんかを擁立しようと画策していたのはご存知ですよね?彼らにとって、てめぇらのメンツだけが重要だったんですよ。民主右派が都議会運営のヘゲモニーを取れていたのは、一方で石原にすり寄る内股膏薬な議会戦術で左派、中間派を抑え込んでいたから。万が一浅野が石原に勝っちゃったりしたら、梯子を外される虞を肌身に感じていたでしょう。



浅野は民主党の操り人形になる事を拒み、対等な関係での支援を望んでいた。「勝手連」はその意気に感じて、分不相応であろうとも懸命に「手作り選挙」を目指そうとした。そう僕が確信できたのは、新宿ロフトプラスワンに浅野が現れた時からでした。



僕が知っている「勝手連」の一部は、いわゆる「プロ市民」ではなく、本当に「勝手に集まった」市井の人々でした。自民支持者から共産党支持者まで、ゲイ・レズビアンからエロマンガ家まで、元新左翼から元新右翼まで、ありとあらゆる「はみ出し者」が浅野史郎と言う、未知数の男に賭けた。いわゆる「プロ市民」は浅野派と反・浅野派に分裂し、いわゆる化石のような「革新統一戦線」論者は共産党と声を同じくして浅野派を中傷しました。実際は僕らも、めいめい勝手に浅野史郎に無茶な期待を賭け、窮状を訴えるばかり。浅野は、ただひたすら人々の声に耳を傾けようとしていました。



失われた希望とプライドを取り戻す戦いは、月が変わって暗転しました。





選挙戦終盤になっての、浅野陣営の突然な戦術転換に僕らは絶望的な気持ちになりました。西新宿の選対本部は、宮城県からつながって来た浅野史郎支持者が外部の支援をかたくなに拒み、四谷の市民選対は一夜にして、乗り込んで来た民主、社民の活動家に簒奪されました。結果として「勝手連」は正規軍に強制的に編入され、末端に捨て置かれたのです。



僕らが幾晩も徹夜して描いた手描きポスターは、動員された労組の運動員によって無造作に貼り替えられました。メイド喫茶のミニ集会は直前になって日本ペンクラブの記者会見というスケジュールを押し込まれ、主催者だった僕は取材陣から罵声を受けました。

それでも、折れかけた心を支えて下さったのは、僕らの未熟な支援活動を最も熱烈に支持し、選対本部とガチンコで交渉して下さった、障害者の自立を永年与党に向けてロビーしてこられたMさんという保守派の重鎮と、Kさんという侠気のある(笑)MTFの市民選対専従の方でした。





ぶっちゃけ、いまさらこんな内紛を暴露したところで、勝てる可能性はきわめて少なかったのも否定し得ない事実です。東京都民で「浅野史郎」なんて名前を知っていたのはごく一部のインテリくらいです。「勝手連」にはアイデアはありましたが、実行できるだけの組織には程遠かったのです。3週間の選挙期間で、例えば足立区の生活保護のおばあさんを説得できる運動なんて、さしもの創価学会でも難しい。



それでも、浅野は170万票。共産党も65万票。両方とも、前回の倍の得票です。石原は前回から30万票以上減らしている。浅野の獲得した票は石原の初当選時の得票を上回っています。外山恒一ですら1万5000票取って、マルチ商法系の女性候補に肉薄したのですから。何かを変えてほしいと願った人々の思いは、著名人の人気投票とカルト団体の勢力拡大法に成り下がった選挙に、ほんのちょっと影響を与えたかもしれないのです。



それでも、負けは負けです。どんな前向きな評価も、それを受け入れない理由にはなりません。

僕はひたすら、あきらめないでチラシを配り、手描きポスターを貼って回り、ブログを更新し、歩き回った一日の最後は外山陣営の呑み会に乱入し、恥も外聞もなく野次馬を説得しました。そのくらいしか、できなかったのですから。



はっきりした事は、民主党には、政権を奪取する度量も気概も能力もないという実態。それでも、勝てる可能性を求めて手を組む事があれば、退廃した集団とでも躊躇無く結託しますよ。「あきらめない」とは、そういうことじゃないの?



もし動いていなければ、僕もまた、あきらめと自嘲とマスコミのような分析でお茶を濁すだけだったでしょう。



「今日が終わりではない。今日から始まるのだ。」




浅野史郎の言葉は、僕の中に強烈に残りました。「変わる」とは、個人が抱くそのような変化が契機なのかもしれません。正直、また選挙運動に誘われても次はやんわり断るかもしれませんけど。貴重な経験ではありました。