宮崎勤の20年。

johanne2008-06-18

1989年。時代がダイナミックに変貌していく渦中にあると感じていた僕は、バブルの狂躁に背を向け、「革命的冗談闘争」に邁進していた。そんな僕らに冷水を浴びせかけた事件が「幼女連続誘拐殺人事件」での宮崎勤の逮捕だった。

その「M君」の死刑が執行された。最高裁判決確定から2年あまりでの処刑は、過日の「秋葉原無差別殺傷事件」と無関係とは思えない。「オタク」と「性犯罪」を過剰に結びつけてバッシングする風潮は、まさにあの1989年8月から始まっているのだ。「Mの世代」と呼ばれた僕らの後には「サカキバラ世代」なる言葉も捏造されてきている。



1989年10月、宮崎勤の事件に衝撃を受けた僕らは緊急の公開討論会を開催した。



これが当時のフライヤーである。






会場は立ち見が出るほどの満席だった。ラディカル・フェミニズムの闘士からオタク、サヨク、一般市民までが事件について語り合った。中でも印象的だったのは、自己の幼少期の性的被害をカミングアウトしながらも「男らしくない男」の厳しい立場にまで言及し、「これは私たち全体に問いかけられた課題である。」という女性の発言だった。後にこの女性が日本の「ウーマン・リブ」の創始者である田中美津氏であったことを知った。

僕が「男らしくない男のリブ=メンズリブ」を模索するきっかけになる集会でもあった。



あれから20年。オタクへの毀誉褒貶のほとんどは好奇と偏見に裏打ちされている。それでも僕らは「ここに存在している」ことを冷静に、しかし強固に訴え続けなければならないのだ。