13年目のジェイルハウスR&R

johanne2003-11-03

1990年11月3日。翌週に控えた「即位の礼」の抗議活動の一環として、当時僕が関わっていた「反天皇制全国個人共闘〈秋の嵐〉」*1はいつものようにJR原宿駅頭(明治神宮のお膝元)で「スピーカーズ・コーナー」という見せ物を演っていた。わずか10名ほどの僕らに襲いかかってきたのは120名にも及ぶ機動隊集団。混乱の仲で逮捕された5名の中で、なぜか僕だけが起訴された。

100日、正確には99日間の獄中生活。独房生活はさながら「修行」でありました。代々木署の留置場で松本剛の短編「教科書のタイムマシン」を読み、東京拘置所の独房では山本直樹の不朽の名作「BLUE」に出会い、「俺はいったい何をやっているのだ?」という焦りと衝動に突き動かされていた。あのときの気持ちを失わないように走ってきたつもりだったけれど、今のていたらくはなんぞ。24歳の俺に胸ぐらつかまれそうな勢い。

獄中では生涯読んだ本の25%くらいの本を貪った。*2笠井潔現代思想の冒険」竹内芳郎「文化と革命」が印象に残った。小倉千加子「セックス神話解体新書」にはひたすら爆笑。村上春樹が面白いと知ったのもそれが初めてだった。もっとも重かったのは永田洋子「わたし、生きてます」。獄を「ここが私の生きる場所」と語る永田の言葉は、僕の不安を煽った。
夜な夜な脱獄して旧友や別れた彼女と逢瀬し、朝日が昇る前に「帰らなきゃ」と自分から言い出す悪夢。運動時間に見える首都高のレールや就寝前に聞こえてくる東武伊勢崎線の列車の音が「此岸」と「彼岸」を分かつ川を幻視させる。「ここは俺の居場所じゃない!」と叫び続けなければ、自分がどこかへ消えてしまいそうだった。
念願かなって保釈された自分を待っていたのは、そこに自分がいる感覚が希薄な「離人症」であり、出獄祝いに訪れた新宿だった。「湾岸戦争」のせいでネオンを「自粛」した新宿は、不気味な漆黒に包まれていた。「檻の中から出てもまだ『檻の中』なのだ」というジョージ・オーウェル作品のような体験ができたことすら、国家権力に感謝しなければならないだろう。あの体験が今の僕を支えているのだ。俺はまだダメになりゃしないさ、などとオザキ風な台詞を吐く。

*1:88年〜93年頃まで活動していたノンセクト非・学生運動のパフォーマンスグループ。
活動の一端はhttp://www.incidents.gr.jp/9909/mitsu990918/mitsu990918.htm 
http://www.incidents.gr.jp/9910/mitsu991026/mitsu991026.htm 
http://www.interq.or.jp/football/tacoashi/saiban1.html 
などで知ることができる。

*2:そのくらい本を読まないと言うのが真相だと突っ込まない。