弱い者がさらに弱い者を叩く無限連鎖。

編集さん背後霊状態に飲みの誘い。「水田ふうさんが来てるから来ないか?」って…うがががががぁ!!お会いしたいのはやまやまですが、今、マジ瀬戸際ですがな!ふうさんは先日亡くなった、敬愛する孤高のアナキスト向井孝さんの連れ合い。時間に余裕があるときに、機会があればよいのだが……

一昨日は沖縄から「アイランダー」さんが来ているというので蒲田へ。アイランダーさんの話の中で、強烈に印象に残ったのは、「……フィリピンに行ったとき、古老から『戦争中、日本兵で一番恐ろしかったのは朝鮮人と沖縄人だった』と聞かされてね……辛いけれど、それが現実だ。」というくだりだった。http://d.hatena.ne.jp/johanne/20031112の発言の流れから語られたことだったが、僕の祖父や父が歩んできた「歴史」が、朝鮮人アイヌにとっては裏返しの「歴史」でしかないこと、それは沖縄にとっても同じ。本島の人間と宮古の人間に存在する切断線を無視して「島人」と一括りにはできない。内地で安穏と暮らしてきた小作農に、故郷を捨てて植民地に渡った流浪者を「侵略の尖兵」と誹られたくはないが、そこで行われた生活や行為を、流浪者が主観的に肯定していく、あるいは感傷に浸るというのも同穴なのだ。最近語られる歴史の修正論議には、そういう視点が決定的に欠けている。それが何より腹立たしい。
例えば、「女たちは戦争が嫌い」とかいうスローガンには笑うしかない。「国防婦人会」はいかに積極的に戦争に荷担したか。戦時下の女性運動家の「母性論」は未だ女性運動の底流にとぐろを巻いている。解放後のフランスで、売春婦がナチへの協力者としてリンチにあったとき、いかなる人間が擁護したというのか。女性差別の話と戦争の話を安易に「従軍慰安婦が云々」と語る「フェミニスト」はたいてい、いま話したような歴史の二重性を考えもしないか、軽んじているのではないかと指摘しておく。

同時に、大日本帝国の大陸政策の中で起きた事象を、ことごとく都合良く解釈する歴史観にも辟易する。「客観的事実」と「主観的事実」と「単なる感傷」をごちゃ混ぜにして語るのが「自由主義史観」なら、「自虐史観」とどっこいどっこいじゃないか。

id:hesoさんが「加害者と被害者は取り替え可能じゃないのか?」と指摘されたことと繋がると思う。http://d.hatena.ne.jp/johanne/20031114に記した「テロリズムへの不賛同」に対して、友人から異論がなされた。「絶対的な弱者にとって、自爆テロは最後の手段であり、取り替えの聞かないものだ。それすら否定する平和主義の立場こそ欺瞞ではないのか?」いや、実は否定してはいない。自衛や抵抗の手段としての暴力の行使を、いったい誰が否定できる?僕が指摘したのは、そこにある「意志」とは、誰の意志なのか?という疑念である。

寡婦や孤児、老人や青年が自爆テロに赴く姿は「美しい」。その美しさを、誰が「演出」しているのか?アルカイダのテロに、打算以外の策略を感じることはできない。それはハマスであろうが、あらゆる反米抵抗組織であろうが、ああいった戦術を編み出した人間たちに、そこまでの覚悟や責任を背負おうという意志が感じられない。米軍が「偶発的な事故」で、占領に批判的なパレスチナ人ジャーナリストを殺害するのと、どこが違うのか?



もうやめよう、ほんとうに。「弱い者がさらに弱い者を叩く無限連鎖」から、一刻も早く逃れたい。