「華氏911」について覚え書き。

「ピストル・ピート」みたいなお遊びがなかったのは残念。反面、ムーアの「怒り」がストレートに飛び込んでくる。プロパガンダだ、編集のマジックだなどと揶揄し、「異論・反論」だの「日本じゃこんなの作れないよね」なんてコメントでお茶を濁すのは、みんな後ろめたいから。それなりに情報を拾いながらこの3年をヲチしてきた人には、特別、衝撃の新事実が描かれているわけでもない。「アメリカの電波少年」を作ってきた極めて優れた映像作家が、ここまでマジになって、芸もかなぐり捨てて訴えようとしている「事実」を、真剣に受け止めたい。

「わかりやすい表現」は強い。「○○差別反対」「子供を守れ」「治安回復」「戦争反対」「民営化」…何だっていい、誰もが、「強い言葉」を切り札にした途端、対話をスルーして二者択一を迫るのはなぜか?この映画もある意味「わかりやすい映画」だが、反面、「わかりやすいこと」のアブナさについて、極めて慎重に、自戒しながら語ろうとする「誠実さ」を感じた。ブッシュ政権プロパガンダに逆プロパガンダを仕掛けている、と短絡することで相対化しようとする、そういうものの見方しかできなくなっていることが、僕たちの不幸だ。

僕が関わってきた「マンガ表現規制反対運動」において、規制推進派の「わかりやすい言葉」に対して、僕らは「ていねいに説明する」ことで返そうと努めてきた。それは極めて困難な活動だった。5秒でスローガンを唱える人々に、5分かけて説明することなど、ほとんど不可能だった。僕たちは、改めて「5分の説明を聞いてくれるかもしれない人々」に向けて、「わかりやすく5分の説明をしていく」気の遠い作業を愚直に続けていった。僕らが勝ったなどとは言えない。現状維持、不完全ではあるが皆無ではない「表現の自由」を、ボロボロになって確保した。

僕たちのグループ「NGO・連絡網AMI」は、今日、ようやく新しい代表役を迎え入れることができた。それが叶わなければ、もう、続けられないというところまで疲弊していたから。ささやかな祝杯を挙げ、僕たちはもう少しだけ、この愚直な訴えを続けることにした。一方で、僕らはマンガ描きだから、こちらはもっともっと「わかりやすいこと」を描くことに傾注していくべきだと心に誓った。

もちろん、アンタの映画はサイコーだったよ!マイケル!マイクロな僕もよたよたしながらあきらめやしないさ!