ウヨサヨって、結局何なんだ?

最近のウヨって、一昔前のサヨのデッドコピーみたい。「愛国主義」も「革命思想」も「近代思想」だよね。そもそも「資本主義」は思想でも何でもなくて単なる現象で、「モダニズム」が啓蒙しようとしたシステムとは早晩相容れなくなるのは必然だった。「社会主義」も「共産主義」とか「無政府主義」みたいなユートピア思想とモダニズムの整合をつけようとしたものだし、「自由主義(ってか保守主義)」はモダンの枠組みに資本とか市場という暴れ馬を繋いでおこうという窮余の策だった。ってことは、ウヨサヨモダニズムが産んだ双子…って理解でいいのか。

「生産性の無限の向上」「無尽蔵の自然と資源」「一握りの成功者による階級社会の安寧」ってな幻想が支えていたのは、「資本・市場」と「モダニズムを信奉する社会」が結婚生活を続けるための契約だったわけで、それらが崩れた今、モダニズムが保証する倫理や法も無効になってしまう。「古き良き伝統」と言われる価値観の大方が、せいぜいここ1〜2世紀の間に捏造されたものだということは、ちょっと調べればわかることだ。ウヨの語る「正しい日本の歴史」も、サヨの語る「博愛主義」とか「弱者救済」もモダニズムの終焉と共に、「資本・市場」という暴力によって食い尽くされていく。

そーゆー未来はたまらないので、何とかしなきゃと思うのだが。一応、出自がサヨだという癖が直らない僕は、「相互扶助」と「和解」による新しい「共同体」を作る…みたいなことをつらつら考えている。「フェアトレード」も「民族意識の高揚」もどっちもウソ臭い気がするから、せめて自分と、自分の好きな人々を守れるような「ムラ」をささやかに作りたい。これって、思想的には後退しているような気もしないでもないが、とりあえず現状の枠組みを超越するような理想主義が出てこない限り、致し方ないような気がする。生き延びなきゃ、ね。