「全国個人共闘」を再度、提起する。

johanne2004-11-12

アラファトの死。ファルージャの虐殺。中国の暴動。人を小馬鹿にした無能な首相発言。歯止めを失ったブッシュ政権。最悪の腹芸を演じる金王朝。すべてが「終わりの始まり」なのだとしたら、諧謔的態度はもはや、カウンターにすらなり得ない。それほどまでに「世間体」を気にかけるポピュリストはどうぞ、美樹の首を晒し者にする衆愚におもねればいい。愚直で誠実であり続けることが「デビルマン」と誹られるなら、我らは敢えて、「デビルマン」となろう。

独立する者、孤立する者、単立する者の「臨時共闘」が腐敗した「党」に拮抗することでしか、真の意味での「自由・平等・友愛」は分かち得ない。現実を受け入れることと理想を掲げることの乖離をどこかで、くい止めなければ所詮、ニンゲンはその程度なのだ。ニヒリズムの誘惑から逃れ、いま一度、我ら個々人が、その立ち位置から異議申し立てを始めよう。自分自身がどこまで「キレイゴト」と向き合えるのか、その懐疑と謙虚を忘れず、前に進もう。自衛のための「偽悪」は所詮、巨大な「偽善」には勝てないのだから、小細工など止めよう。たった今から。