39歳の地図。(前説)

5年ぶりの北海道は、僕に「転機」を突きつけてきた。帰省するたびに、僕は原風景を確認してくる。




国道231号線。通称「石狩街道」とJR札沼線(今は「学園都市線」だそうだが)が交差する陸橋から見える創成川、ポプラ並木、彼方の手稲山。今でも、夢に見る札幌の風景はここから始まる。

僕が生まれた浜益村は、永らく石狩街道の終点だった。断崖絶壁を切り拓く難工事の末に暑寒別や増毛を貫通し、稚内まで続く「オロロンロード」が開通した。結果的に、村はダンプカーやトレーラーが終日通過するだけで、寂れた漁村からはついに抜けだせなかった。村の記憶など全くない「札幌育ち」の僕が、プロフィールに「浜益郡浜益村生まれ」と書く事で、いずれ合併し、消えていくだろう生地を確認しようとする作業は、僕にしか意味を持たない。それでいい。



陸橋に向かって架かる「協栄橋」は、幼い頃はまだ、粗末な吊り橋だった。屯田一番通りから橋を渡って、教会や街にバスで出かけた。地下鉄が開通する以前は、陸橋を渡った先に「世界」が広がっていた。三方を防風林で囲った屯田という地域は、まさに「開拓地」だった。本当に、何もなかったのだ。

見下ろした先にある札沼線のカーブは、苦い記憶の痕跡。僕と遊んでいた弟は、興味本位で線路に入り込み、僕の目前で、2時間に一本しか来ない列車にはねられた。血まみれの弟を抱えて、父はこの陸橋まで駆け上がり、タクシーで搬送したのだという。弟は、本当に奇跡的に、一命を取り留めた。ひ弱だった僕は、線路に向かってずんずん進む弟を引き留められなかった。父は、その場で僕を怒鳴りつけたことを忘れたまま逝ってしまったし、僕が抱える後ろめたさは、1/3世紀を経ても何かの拍子に顔を出すのだ。……この原風景を基点として、濃密な一週間の記録を残しておこうと思う。(続く)