「週刊ケーカイ」&夏コミ。

johanne2006-07-11

☆閲覧条件が変わりました「週刊ケーカイ」

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☆ついに出るのか?! 17年振りのオフセット新刊、準備中。



夏コミブースは13日(日)東4ホール”ヨー04a”「ANARCOMIX」です。「連絡網AMI」との合体ブースになります。

AMIでは鬼ノ仁センセの美麗イラストが表紙の「セラ萌え」を再販します。詳細はサイト内の「AMI同人班」で確認してください。で、我がANARCOMIXでは、1989年出版の「宝馬」以来、実に17年振りとなるオフセット新刊を制作中です。タイトル未定。諸般の事情でお蔵入りしていた単行本未収録の商業作品がメインになる予定。無事頒布できますと、これはもう「怪挙」ですな。


革手袋に安全靴、タオルは3本あれば善し!

5月の北海道から帰ってくると、いわゆる「仕事の谷間」にはまりこんでしまった。背に腹は代えられないので、ここ2週間ばかり日雇派遣労働者になりすまして現実世界の潜入取材を……ではなく、アルバイトにいそしむ日々。PCでチェックするのはショットワークスとかVOBといったサイトのみ。OEクラッシュで急遽導入した”化石メーラー”ユードラ5.0が、どうしてもフィルタリングに反応せずイライラ。ところが、肉体労働に慣れてくると、不思議に抑鬱が改善されてきた。腰痛と筋肉痛は辛いのだが、煮詰まった脳細胞とメタボリックには即効性の治療になったみたい。やはり、日光を浴びたり、外気を吸入するのは大事だと痛感。そうこうしているうちに、本日、宅配便で「不惑」が届けられますた。しかも代引。


39歳の地図。(前説)

5年ぶりの北海道は、僕に「転機」を突きつけてきた。帰省するたびに、僕は原風景を確認してくる。




国道231号線。通称「石狩街道」とJR札沼線(今は「学園都市線」だそうだが)が交差する陸橋から見える創成川、ポプラ並木、彼方の手稲山。今でも、夢に見る札幌の風景はここから始まる。

僕が生まれた浜益村は、永らく石狩街道の終点だった。断崖絶壁を切り拓く難工事の末に暑寒別や増毛を貫通し、稚内まで続く「オロロンロード」が開通した。結果的に、村はダンプカーやトレーラーが終日通過するだけで、寂れた漁村からはついに抜けだせなかった。村の記憶など全くない「札幌育ち」の僕が、プロフィールに「浜益郡浜益村生まれ」と書く事で、いずれ合併し、消えていくだろう生地を確認しようとする作業は、僕にしか意味を持たない。それでいい。



陸橋に向かって架かる「協栄橋」は、幼い頃はまだ、粗末な吊り橋だった。屯田一番通りから橋を渡って、教会や街にバスで出かけた。地下鉄が開通する以前は、陸橋を渡った先に「世界」が広がっていた。三方を防風林で囲った屯田という地域は、まさに「開拓地」だった。本当に、何もなかったのだ。

見下ろした先にある札沼線のカーブは、苦い記憶の痕跡。僕と遊んでいた弟は、興味本位で線路に入り込み、僕の目前で、2時間に一本しか来ない列車にはねられた。血まみれの弟を抱えて、父はこの陸橋まで駆け上がり、タクシーで搬送したのだという。弟は、本当に奇跡的に、一命を取り留めた。ひ弱だった僕は、線路に向かってずんずん進む弟を引き留められなかった。父は、その場で僕を怒鳴りつけたことを忘れたまま逝ってしまったし、僕が抱える後ろめたさは、1/3世紀を経ても何かの拍子に顔を出すのだ。……この原風景を基点として、濃密な一週間の記録を残しておこうと思う。(続く)