おのが狭量を恥じる。

スマトラ沖大地震の報道を見ながら、年末休暇でリゾート旅行を楽しんでいた人々の不幸に一瞬でもほくそ笑んだ自分。こんなことは今までもあった。巨大ディスコのミラーボールに押し潰された女性を、台風で倒れたセンター街の看板の下敷きになったサラリーマンを、9.11で犠牲になったビジネスマンを、(いい気味だ、ざまぁ見ろ)と眺めていた自分が、まぎれもなくいる。自分を弱者だとひがめばこそ、他人の不幸に拍手する邪な感情をむりくり正当化する。それこそを恥じなければ、何も変わらない。何も変えられない。貧者の革命が常に挫折するとすれば、矮小な自分から目を背け、安易に社会的疎外に原因を求めることこそが問題なのではないか。

ちっぽけで、せこくて、野心ばかり肥大している惨めな自分と、今一度向き合うことからしか、何も始まらない。