中国へのアンビバレント

johanne2005-04-19

中野のタバコ屋でおバカなZIPPOを衝動買いしてしまいますた。革命家のアイコンと言えばゲバラだが、'80年代には毛沢東も通好みのアイコンだった。YMOや雑貨屋の大中の功績が大きいのだが、どちらかと言えばマイナスイメージが当時でも一般的だったマオは、その福々しい笑顔のせいか、ポップカルチャーの世界では人気者だった。

連日の中国での反日デモを見て、不快に思わない人はそういないだろう。いくら靖国や教科書問題が彼らの逆鱗に触れたからと言って、あれを擁護するのは無理がある。



1989年6月4日。彼らにとって、あの日は何だったのだろう。少なくとも、僕だけではないいくばくかの青年は、ブラウン管に映し出されたその光景を、怒りにふるえながら見つめ、キレイゴトではない「国際連帯」という言葉を痛感していたはずだ。当時僕も含めた「革命的冗談闘争」を掲げた友人らは、天安門事件の翌朝に渋谷に集結した中国人留学生のデモ隊に、唯一の日本人として参加していた。黄布の乱にあやかって、「馬の骨」と大書した黄色の旗を掲げながら。

あの時「民主万歳!」「自由万歳!」と叫んでいた留学生の一部は、もしかして今回の暴動に加わっていたかも知れない。それが変節ではなく、「愛国無罪」を逆手にとって中共政府にプレッシャーをかけるテクニックであるという憶測を信じたい。それは、たぶんこっちの都合で、片想いでしかないのだろうが。