奥崎死して、天皇はサイパンへ。

正直、ロフトプラスワン根本敬にいじられている奥崎謙三を見るのは辛かった。このじじいのキ○ガイ力を理解する者も、理解しようと勉める者もいなかった。奥崎が取り乱しながら訴え続けたのは、唯一、「あの戦争の責任を誰がとるのか?」という突きつけでしかなかった。その一点でのみ、奥崎は正気だった。その事実を、因果者の奇矯な老人を笑いの種にしようとした根本敬が引き受けていたとは思えない。多くの点で根本の仕事は評価するが、こと奥崎謙三に対してだけは、根本敬でさえ「世間並みに普通の人々」と同様の逃げを打っていたように思えるのだ。

僕が天皇制に反対する最大の理由は、「最終的に誰も責任をとらないシステム」だという点だ。今回のアキヒト夫妻によるサイパン慰霊訪問が「天皇の戦争責任」への彼らなりの回答かも知れないと感じるのはお人好しにすぎるかも知れない。しかし、浅薄で無能で頑迷な宰相がまき散らした「無責任」に比べて、かつての植民地に赴き、朝鮮人や沖縄の慰霊塔にまで拝礼したアキヒトさんとミチコさんの平和への決意は、天皇制というシステムの禁忌にまで踏み込もうとする冒険に思えた。ドイツのように、「全ての戦争犯罪ヒトラーナチスの責任」とする事を、なるほど日本人は潔しとしないのかも知れない。しかし、潔くあろうがなかろうが、敗戦を喫した国家が侵略した近隣諸国との関係を正常化するためには、明確な「責任所在の確認と責任者の処罰」が求められるのは当然のことだ。「天皇ヒロヒトの戦争責任」を回避した以上、「A級戦犯」が責任所在として永久に汚名を刻まれるのは、どうあってもやむを得ない結論だったのではないか。東条の遺族が東条英機を庇うことと、侵略戦争を「仕方なかった」としたり「いやむしろ、アジア植民地解放の契機になった」と言い訳するリビジョナリスト共の姑息な策動とを同列に扱うべきではない。

皮肉にも、「戦後民主主義の申し子」のごときアキヒト夫妻の誠実さが、天皇制の虚妄をあぶり出した。まず、ちゃんと謝るところから始めないか? でなきゃ、中共の屁理屈にすらちゃんと反論できないぜ。