今生に六道あり。

johanne2005-11-26

前述した「めんどくさい」の罠…という話は、仕事中のアシさんとの雑談から飛びだした。「めんどくさい」と「しょうがない」によって、人類史の決定的な失敗は繰り返されてきた…という結論にまで到達するも、目前の原稿は進まず。なるほど。「そうやって、目の前のイヤなことから逃げているのね。」という綾波レイの科白の本質はここか。

こんな話もあった。仏教の本伝には、来世に地獄も極楽も天国もない。では、地獄とは何か。物欲に駆られている瞬間、情欲を貪る瞬間、そこには至上の快楽がある。その快楽に埋没している状態こそが地獄である、と。「めんどくさい」が心地よい怠惰を伴うのも然り。



なんてことをつらつらと考えながら、CX「女の一代記〜瀬戸内寂聴〜」を観ていた。元祖ふしぎちゃん、ふしぎ界の頂点に「ふしぎ菩薩」として君臨する寂聴さんは、ふしぎちゃんというよりも単に生真面目な女性だったのだろう。その生真面目さ故に、永い修羅道を渡らねばならなかった「因果者」。



それは多分、僕自身も抱えている難儀さなのだ。



「これからは、人にやさしくされたいが為に人にやさしくするのはやめよう。」

ふっと、そんな思いに至る。