「キレイゴト」は言語明瞭、意味不明瞭(故・大平総理テイスト)

従来こうした「ニッチビジネス」はいわゆる「その筋の方々」の領分だったような気がする。今でも多分、かなりのスキマはアニキ衆が一応、押さえているだろう。前述の私書箱なんか、前島密の時代から続く伝統だったり。

「巨大利権」の構造改革は国家経済の存亡を賭けているかも知れないが、正直、僕には「プチ利権」の争奪戦で、わりかし呑気でいられたこの国の市民社会の秩序と均衡、モラルや自由が致命的に崩壊するスペクタクルの方が切迫して見える。



例えばの話。ご立派な「生活安全」「健全育成」条例は、こんな人間をどのように救済してくれるだろう?

バツイチヤンママの連れ子はヒモで無職の義父に虐待されつつ思春期を迎え、同級生の彼女を孕ませた挙げ句に殴打を加え堕胎させ年少送り。ようやく決まった就職先はマルチ商法。上司の罵倒で始まる朝から年金生活者の電話リストで営業トーク。ようやく拾ったカモのアパートに8時間居座って150万円のローンを組ませる。一時はセールスも上向いて、元カノと運命的に再会して出来ちゃった結婚。コツコツ貯めた預金を注ぎ込んで35年ローンで買ったマンションは耐震偽装。ほうほうの体で公団に引っ越した翌日に会社が強制捜査。失業と同時に逮捕拘留23日。起訴猶予で自宅に戻ると、カミさんは不在、赤ん坊はうつぶせ寝の状態で息をしていない。救急車で搬送され、緊急手術で一命は取りとめる。ようやく駆けつけたカミさんの首筋にはキスマーク。長い長い沈黙の先に、差し出された離婚届。待合室で始まったバカップルの修羅場を遮るように、医師が子どもの深刻な後遺障害の可能性を告げる。妻は子どもの引き取りを拒否して逐電。それから6年。父子家庭で我が子の回復を願い、いくばくかの成長を確信した男の許に届いたのは、我が子の普通学級への修学拒否を告げる封書。

男は冷静に、我が子を絞殺し、持てる限りの凶器を身にまとい、校門を乗り越えた。無垢な子羊らの鮮血と、彼が生涯背負った血債の価値を問いただすために。その問いかけ自体が誤りだと、彼が一番よくわかっている。



ワイドショーや週刊誌で描かれる「犯人像」「背景と過去」なんてのをテキトーにつなぎ合わせてみただけだが、まぁ、多分似たような理不尽はそこいらに転がっているんだ。北芝健だのロバート・K・レスラーだの小田晋だのなら、もっとキャッチーに、パンピーの妄想にフィットするアナライズを披瀝してくれるだろう。しかも、だ。この手の悲惨な事件なんて、昔に遡るほどに左上がりのグラフになるのは明白だ。

過去と比較できないほど、この国は半世紀ばかり、自堕落だが泰平な、無責任だが前向きな夢と希望を享受できた極めて「特殊な」時代を過ごしてきた。それは不幸なことか? 他国の戦争に巻き込まれない代償として超大国に隷属し、無謀な戦争の加害者責任を愛想笑いと札束で曖昧にやり過ごした戦後の指導者や官僚は相当にやり手だったと思うぞ。今どき「国家の品格」なんぞ語るエセインテリより、屈辱と後悔を呑み込んで「下品でしたたかな敗戦国」を演じた古狸の方がカッコイイと思うし、本気で革命しようとしていた昔のサヨクも、細々と間違っていたけれど、やるべきことはそれなりに果たしていた。彼らは心底、敗戦という紛れもない現実と、変革が必要な不確かな未来と向き合っていたと思う。


「耳障りの言い言葉」「高邁な理念」「単純明快な主張」「自己犠牲」「健全」「情緒」「伝統」「普通」………とりあえず、イマドキ威勢のいいスローガンはほぼ全て、疑ってかかることにする。