必要な飢餓感。

johanne2007-10-27

もう一ヶ月、必死の作画作業。プロットからネーム、作画まで込み込みだとしても、24Pに時間かけ過ぎ。勘を取り戻すのに七転八倒する苦しさに比べたら、現場作業の方が精神的抑圧が希薄な分ラクチンだとすら思える。

不思議なもので、干されている期間はどんなにもがいても結果がついてこなかったのに、一本仕事にありつけた途端にぽつぽつと依頼が戻ってくる。一向に進まなかった持ち込み用のネームのアイデアも湧き上がってくる。うまく行かない原因をあれこれと思い悩んでいたが、ようやく気づいた。足りなかったのは、描きたくて描きたくてたまらない「飢餓感」だった。

いつの間にかルーチンワークにハマり込んでいたのではないか。納得がいくまで推敲し、描き直す努力を惜しんでいたのではないか。14年前の俺はどうだった? 人格的にも経済的にも破綻してはいたが、溜めに溜め込んだ鬱屈と怨嗟と恋慕と妄想を読む側に叩き付けることに全精力を注ぎ込んでいたじゃないか。

この飢餓感は半端じゃない。青年期のルサンチマンはとうに喰らい尽くしてしまった。はてダだのmixiだの反権力運動だの、むやみに吐き出す言葉で満たされる筈もない。16年前、小菅の独房で天の父に「あぁ、本当は僕はマンガを描きたいのです」と願った思いに偽りはない。主はしもべの願いを聞き入れ、拡張子不明の添付ファイルでなんだかよくわからないがたぶんかなり重要な使命を与えてくださった(と勝手に解釈している)。

これからは、描くことで吐き出すのではない。描くことで飢えをしのぐのだ。ある人がかつて俺に「お前のマンガは狂気が足りない。もっと狂え。」などと無責任な批評を飛ばしてきたことがある。その時は(冗談じゃない。ただでさえ他人より狂っている自覚があるから必死で抑えているのに!!)と内心憤慨したが、今なら別な解釈で得心できる。

狂気が産み出す傑作もあれば、餓鬼が描きなぐった怪作もアリだろう。常人が物語る際に狂気は必定だろうが、狂人が物語る為に必要なのが「飢餓」じゃないのか。いずれにせよ、追いつめる、られる崖っぷちに立たないと自白しない二時間サスペンスドラマの犯人みたいな難儀な人間もいるのだ。しかもそういった難儀な人間に限って、創作を生業とするか、志そうとする傾向があるのも事実*1。物書きが世間一般の常識を逸脱して〆切を守れないのはたぶん、そうした病に由来するのだろうが、今や「〆切を守らない作家は概ねレッドカード!!」とはマンガ業界も例外ではない*2



今回、常用している「NIKKOGペン(特上品)」を切らしてしまった為、某師匠がアナログ時代に愛用していた「日本字ペン(和字ペン)」を試してみたところ、意外に悪くない。細かい描写にはちと辛いが、滑らかで長い曲線はGペンより優れている感じ。早い話、某師匠が得意とした「繊細な女体曲線」に適しているペン先という訳。がってんがってん!




*1:創作者一般がキチガイだとか餓鬼畜生だとか断定している訳ではありません。生憎、僕が感動したり敬愛する物書きがかなりの確率でソッチの傾向にあるというのが偏見の由来だと思われ。

*2:「〆切が……」という楽屋オチが大流行した時代に育った僕らは結局、誤った価値観をマンガ家に抱いてしまったのだ。概ねチームで制作し、法人と取引するような環境において「納期」の遅れは致命傷になる。強い自戒を込めて箴言としたい。