「独立左派」は甘ちゃんの理念かも知れない。が。

「孤立を求めて連帯を恐れず」という「態度表明」は、それこそ三谷「新撰組!」になぞらえるなら「永倉新八」や「原田左之助」的な「無邪気さ」でしかないことはわかっている。彼らは試衛館生え抜きと言うだけで、近藤の苦悩や土方の覚悟、沖田の哀しみや山南の諦念を共有することはない。純粋であることの愚かさ。「組織」を担うという覚悟のない永倉や原田は、素朴な反対派であったり、倫理派であることによって、結果的に組織の維持と粛正に都合のよい駒としての役割を果たしている。それ故に近藤も土方も、沖田ですら彼らの「甘さ」を容認しているとも言える。……容認、ではないかも知れない。「心の闇」を共有する過激派にとって、闇から呼ぶ声が届かない天真爛漫な存在は、いとおしい写し鏡だったのだろう。……などという妄想。

思い入れたっぷりの一小説家が作った世界観を「司馬史観」などともてはやす輩には、三谷が描こうとしている「アナザ新撰組」は理解できないのだろう。「孤立する自由」と「共有されるべき組織」は両立しないという諦観からなお、「無邪気で素朴な誠実」を語り続けるというのも、ひとつの覚悟である。

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