告知とか。

1.「ウタリア戦記・閃光のアーシュラ」の台湾版が出るそうです。版元は「マルクスガール」と同じ「長鴻(チャンホン)出版」…ってことは、台湾ではそこそこ売れたってことで解釈していいんですかね。素直に喜びましょう。

2.http://d.hatena.ne.jp/johanne/20040225で紹介したこうの史代さんの「夕凪の街」が今夏、双葉社から出版されることになるそうです。「ゲームラボ」でも斎藤環センセイが絶賛してたり。ネットから評価が上がって、双葉社の営業を動かしたそうで。「売れるマンガ」ばかりでなく「良いマンガ、面白いマンガ」を出版していく英断をこれからも期待したいです。

3.僕の方の最新作は、15日発売のメンズアクションで「ろりづま。」と、来月の桃姫で「ペッティング」というのを描きました。「ナードボイルドR」と短編集の企画は…まだ告知できる段階ではなく。単行本出ないと干上がってしまいそう、マヂで。


これからは「日大芸術学部非常勤講師」と肩書に加えてもいいのだろうか(w

日芸の文芸学科*1「文芸特別講義1」の講師陣の一人として、行ってきました所沢。テーマは「不健全マンガと呼ばれて」…ということで、エロマンガ全般の話など。GW明け直後の授業に加え、講師陣の中では一段とマイナーなマンガ家ゆえ、学生が来ないのではないかとドキドキでしたが、教室にはいると、なかなか個性豊かな学生の群が陣取っていてますます緊張。反応が怖くて目線をあわせずにしゃべくりまくるという情けない展開。

学生の方々、清水先生、助手の方々、フォローありがとうございました。で、なぜかもう一回、やります。今度のテーマは表現規制法案の問題などについて。5月31日PM4:20から、場所は同じく日本大学芸術学部所沢校舎*2。一般の聴講も可能だそうです。


「神魂合体ゴーダンナー」*1

なんとなく、モードは「ケレン」だなー…とか思っていたら、とんでもないアニメにハマってしまいました。新婚さんが合体して戦う巨大ロボットアニメ。だけでなく。百合カップルが合体とか、女王様とM男くんが合体、とか。爆乳ロボとか。むやみに揺れる乳とか。胸の谷間からケータイ取り出す、とか。むやみにカコイイ台詞だけど、かなり計算されてたりとか。とにかく、いま第二シリーズなので、ぜひとも第一シリーズのDVD購入をお勧めします。

この作品、スタッフが資金をかき集めて「作りたい作品」を思う存分作っているそうで、常に資金難で中止のリスクを負っているそうです。東京都や経産省の「コンテンツ振興」では、間違いなく捨て置かれる作品。けれど、それこそが日本アニメの底力なのだと、慎太郎や純一郎は永久に気づかないかもしれない。

http://www.sensenfukoku.net/policy/anime/index.html
なんかを読むと暗澹とした気分になる。
「作り手の思いが優先するとリスクが大きい」…って、どゆこと?!そうやって、何もない荒野からジブリ押井守が突然開花したかのような「神話」を作り上げることと、「制作者に満足な支払いがなされていない」という問題をしたり顔で憂う態度こそが、悪質なダブルバインドじゃないのか。

庵野秀明の「キューティーハニー」も、アニメ版の方はかなり期待している。予告編を見る限り、庵野さんも「ケレン」を強く意識しているようだ。こんな時代だからこそ、中途半端な「エセリアル」より「カブキ」の猥雑さ、豊かさを追求することに期待したい。


「これは自由の敵の本性を示す行為だ。彼らは無実の男性や女性、子どもたちの命には何の関心も持っていない」

(マクラレ米大統領報道官:アルカイダ系グループによる米人人質処刑について)

この茶番劇。この退廃。アルカイダだけがガチ。どだいアメリカのWWE的戦争とアルカイダのサブミッション・テロのゲバルト合戦じゃ、こういう悲劇はこれからも繰り返される。

皆さん、もう、ホントに、そろそろマジで怒ってもいいと思うんだけど。劣等感や嫉妬、憎悪から始まる「印象批評」や「高踏的態度」、「謀略史観」というものは、社会の退廃を加速させても、いま起きている危機や悲劇を阻止する何の力にもならない。
これはウヨサヨ限らず、裏付けも取らずに妄想を膨らましているだけじゃ、「C級民族」と嗤われますぜ。

何度でも言うが、僕は「ジサクジエーン」とお祭りをやった連中を土下座しようと許さない。これは「2ちゃん」の責任じゃない。「ドイツおばさん」クライン孝子や「ほもかっちゃん」勝谷誠彦、大月「サイバッチ」隆寛は、その無根拠な中傷を煽った「自己責任」をとるべきだ。特に、勝谷誠彦には失望させられた。多少なりともシンパシーを抱いていただけになおさらだ。「左翼憎し」の感情が冷静な批評を歪めてしまうのは、呉智英あたりにも通ずる「転びサヨク」の悲しい性か。

「日本人人質事件」を一言で評するなら、徹頭徹尾「マヌケな事件」でしかなかった。「マヌケ」が適切でないなら、「素朴」とか「朴訥」と言い換えてもいい。高遠さんの純粋さと思いつきっぽい行動のギャップがそうだし、今井くんのまっすぐさや郡山さんの野心、それらの全てが、アンマンでの決断ミスに繋がった。ただ、かれらがもし非難されるなら、ただその判断についてのみだ。ましてや、政府や官僚の腐りきった開き直りの発言は、自国民を保護するという国家の大前提すら軽視する、万死に値する退廃である。

拉致した武装勢力の連中もずいぶんとマヌケだった。止むに止まれぬ、と言いながら、人質に解決方法の教えを請う。アルカイダが関与していなくて本当に幸運だった。彼らのような闘争では、やはり「帝国」には勝てない。何より、僕らは彼らについていかに無知だったことか。「国際民衆連帯」? ちゃんちゃらおかしい。僕らは、ムスリムのことなど何も知らないし、知ろうとしてこなかった。彼らとて同様である。

「わかりあう」ことより、「わかりあえない」ことを、僕らは理解すべきなのだ。「わかりあえない」からこそ、何とかして「折り合い」をつけようと努力すべきなのだ。共和の思想がなければ、民主などあり得ない。そのくせ、「共和思想」ともっとも縁遠いかの国の保守政党が「共和党」を名乗っているのもおもろかしい。

この憎悪と退廃を下支えしているのが、僕の、あなたの「劣等感」なのだ。何度でも言う。被害者と加害者は容易に取り替え可能だし、僕らはそれほど大した存在ではないが、かけがえのない個々の存在なのだ。「自己責任」など誰も取れないし、ましてや他人に突きつけるものではない。

あんただけが辛いんじゃない。だから、もっと他人のことを慮って生きてもいいんじゃないか。